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日本画 池田遥邨

池田遥邨

 池田遙邨(いけだようそん)は1895年(明治28年)に岡山県倉敷市に生まれた日本画家です。子供の頃から画才があり、大阪の松原三五郎が主宰する天彩画塾に入門し、当初は洋画を学びました。1914年(大正3年)に水彩画「みなとの曇り日」を第8回文展(文部省美術展覧会、現・日本美術展覧会=日展)に出品して入選を果たしたのですが、なんと当時まだ18歳の少年であったことが話題となり天才少年画家として名声を博しました。その後京都市への転居がきっかけで、画塾・竹杖会に入門し日本画へと転向したのですが、その年の第1回帝展(帝国美術院展覧会)で「南郷の八月」が入選を果たすなど、その天才ぶりは目を引くものがありました。そのころ京都市立絵画専門学校研究科(現・京都市立芸術大学)に入学して本格的に日本画を学び、卒業から2年後の1928年(昭和3年)には第9回帝展(帝国美術院展覧会)で「雪の大阪」が特選となりました。水の都大阪にめずらしく大雪が降ったのを題材にしたもので、橋の欄干を上からから見下ろす構図の先に真っ白く雪の降り積もった大阪の街を描いたものですが、柔らかな光の中に住み慣れた大阪への愛情が溢れて見えてくるようです。「雨の大阪」と言う作品も同様に、雨に煙る街を描いたものですが、ほのぼのとした温かみが溢れていて見る者の心を慰めてくれるようです。
 池田遙邨の人生に旅は大きな影響を与えました。歌川広重の「東海道五十三次」の道のりを法被姿で3度も歩いて辿るなどその探究心は並外れたもので、行く先々でのスケッチは膨大な数に上ります。晩年には種田山頭火に傾倒し「山頭火シリーズ」を遺しました。法被姿での旅路の最中に見た風景の中には、まさに山頭火の句のままの風景が見えたのでしょう。このシリーズには小動物や野の花が数多く出てきます。「うしろすがたのしぐれてゆくか 山頭火」では薄(すすき)の草原の中を風に煽られるようにして歩む山頭火を小さく心細げに描いているのですが、画面手前左には一本の薄が大きくクローズアップされています。秋の野芥子を置いた作品でも同様の雰囲気を醸し出していて、池田遙邨自身が夜露に濡れ萎んだ蕾のもとで野宿したのであろうかと思わせる作風で、旅の中の広重、山頭火そして池田遙邨の心象が重なり合って見えてくるようです。

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